またよしの初代は首里王府の命により現在の中国に留学し、金細工の技術を修得しました。
そのため「唐行き又吉・トーチまたよし」と呼ばれていた記録があります。
代々又吉家は王府の抱え職人として筑登之親雲上の
位をもらい守礼の門近くで勤めていました。
王家、士族の注文控え帳は厚さ10㎝ほどの分厚いものだったと言われています。
しかし、注文控え帳は昭和19年の10.10空襲で伝承の多くの道具と一緒に焼失してしまいました。
金細工またよしの歴史は、明治12年の廃藩置県以降大きく変わりました。
琉球王国解体後の社会変化における長い空白の時期と、昭和の大戦、そして戦後の荒廃。
激動の時代のなかで、伝承の道は途絶えようとしていたのです。
しかし1960年代にいたって、大きな転換期がおとずれました。
それは先代である金細工またよし六代目の誠睦と、民芸運動の陶芸家・濱田庄司、
染色家・芹沢銈介、版画家・棟方志功らとの出会いからです。
濱田庄司の「もう一度琉球人にかえってくれ」の一言に啓発され、
誠睦はジーファー・結び指輪・婚礼の房指輪の復元に精魂こめました。
昔ながらの技と形が生きるこの三点は、
現在も七代目健次郎を中心に継承されています。
受賞歴
1974年、76年 | 日本民藝館展入選 |
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2004年 | 沖縄県立博物館にて展示・講演会 |
2007年 | 浦添美術館にて展示会 |
2008年 | 白洲賞受賞 |
2009年 | 沖縄タイムス文化賞受賞 |
2012年 | 沖縄県功労賞受賞 |