金細工またよしの代表的な作品であるジーファー、房指輪、結び指輪についてご紹介します。
球王朝時代の簪には金属をはじめとする様々な異なる素材のものがあり、
尚眞王(1509年)の時代にはすでに、王族は金・士族は銀・平民農民は
真鍮・木・べっ甲などといった素材で位階の違いを表していました。
また男女によっても形状が異なります。
女性用の簪は、スプーン状にくぼませた頭部と六角形の胴体で出来ています。
この形は、女性の姿を表していると言われています。
男性用は、龍や水仙、牡丹など、位階によって違う形をしています。
婦人は火事の時、肌身離したことのないジーファーを火中に投じて鎮火を願ったといいます。
ジーファーは女性の分身なのです。
房指輪は琉球王朝時代、婚礼指輪として使われていました。
王朝時代が過ぎ、古式ゆたかな婚礼指輪が陽の目をみたのは、1960年代になってからです。
陶芸家・濱田庄司から六代目誠睦に手渡された原型をもとに復元されました。
細かく繋がれた鎖、素朴な形の七飾り、三つの指輪で構成されていて、
七つの飾りは中国の吉祥文様や、沖縄の文化や風土、祀りごとを表したのもが多く用いられています。
その豊かな装飾からは、王朝時代の華やかさがうかがわれます。
2本の銀線を結んでつくられる結び指輪は、
戦後の民藝運動の方々との出会いに大きくかかわっています。
芹沢銈介の説によりますと、この指輪はその昔辻町の遊女が身につけていたということです。
首里王朝が衰退し、明治になってからは世替わりがすすみ、そして戦争により遊女は姿を消しました。
この150年の間に遊女が手にしていた結び華は消えてしまったのです。
その辻の指輪の存在を芹澤が語り、棟方が描いたものをもとに、六代目誠睦が苦労を重ねて復元したのです。
しっかりと結ばれたその結び目は男と女の出会いと絆を表しているように見えます。